消える肩車


[2002.12.18 日本経済新聞参考]

小さい子供を肩車する父親の姿を最近見なくなった。休日の公園や人ごみをで探してみても、とんとお目にかかれない。「肩車を街中で見なくなっただけではなく、今は肩車できない父子も増えている」とある教授は語る。

また、「約1割の父親が肩車が出来ない。できる父親にしても、こわごわといった様子で日ごろ、肩車しないことがうかがえる」と語る。

肩車が少なくなったのはなぜだろうか?まず、考えたのは父親の体力の低下だ。しかし、30代の男性の体力は向上しておりあてあまらない。

今のお父さんが子供の頃は高度成長期で多くの男性は家庭より仕事中心の生活をしてきた、そのため今のお父さんが父親に肩車されなかったことが原因ではないか。

また、ベビーカーの普及も影響していそうだ。「ベビーカーがない時代は子供が歩き疲れると抱っこや肩車をしていたが、そうした場面が少なくなってきた。」と推測できる。

目線が低い子供にとって肩車は人ごみなどで見物するのに便利な手段だ。だが、最近は肩車を敬遠する風潮も広がっている。TDRやUSJはステージショーなどで肩車しないよう呼びかけている。

また、ある教授は「お父さんは絶対落とさない」という信頼感があるから子供は安心して身を任せられる。スキンシップやコミュニケーションが足りなかれば子供も怖がって肩車を望まない。肩車の減少は一つの象徴であって、その背景には子供との関係を上手に築いていない父親の問題が見え隠れする」と解説する。


−おおざるの意見−
娘のこざるは大の肩車好き。家の中でも座っていると肩車してもらおうと登ってくる。肩車するのは大変だけど楽しい。跳ねたり座ったりすると、まるでジェットコースターに乗っているかのような楽しい悲鳴をあげてケラケラ笑っている。外では表情こそわからないもの、走ると自分より早く走れる体験ができるのが嬉しいのかとっても喜んでいる。こんな遊びはどこの家庭でもやっているのかと思った。ところが、少数派だったとは。。。。

肩車をしない父親の中には「服が汚れたり、髪型が乱れたりするのが嫌だからしない」と答えた親がいたらしい。子供より自分が大切らしい。

別の話だが、自分のために子供を犠牲にする人が多いのに驚く。自分が遊びたいから子供を祖父母に預ける。生活のためではなく、自分の欲望を満足するために働きたいから幼稚園に預ける。子供を犠牲にして「自分の欲望」の為に生きる。これが普通なのか?

父親の不在、夫婦仲が悪いなど、家庭環境が悪い場合に子供は性格が歪むことが多く、むしろ離婚して仲良く暮らしているほうが子供は真直ぐ育つらしい。

配偶者特別控除も廃止され、妻は仕事に出ることによりストレスが溜まり、夫婦仲が悪くなる家庭が増えそうな予感がする。育児を犠牲にし、自分が楽しむためだけの生活は素晴らしいことなのか?

 


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